高校時代、すでに現在の萌芽が |
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高山さんが本当に目指していたものを知っていただくために、高校時代の彼を紹介したいと思います。 彼は3年6組でした。 3年の文化祭のこと、秋といえば受験勉強の真っ最中、 のはずなのですが、6組は演劇をやることになりました。 民話「瓜子姫とあまんじゃく」です。 3年生では唯一の演劇公演でした。 劇の練習、舞台造り、大道具・小道具・衣装などの裏方の仕事、 クラス中が協力して、この劇に取り組みました。 その中心にいたのが、プロデューサの高山さんでした。 みんなで協力して一つのものを創り出す楽しさを3年6組全員が味わいました。 受験勉強を乗り越えて(?)の文化祭での成功は、私たちに深い感動を与えました。 高校時代から高山さんには、みんなをプロデュースする能力がありました。 |
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そして転機が・・・ |
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高山:転機となったのは、超大手製造業S社への直契約コンサルティング案件を手掛けた時。 そこでは、大規模基幹業務システムのSIプロジェクトにおいて、 バッチ処理が夜間処理時間内で終わらないという重大な性能問題に直面しました。 高山:プロジェクトに参加していた大手ベンダー数社がギブアップしていく中、私に白羽の矢が立ち、 自分自身のチャネルを築くことができたという確かな手応えを得ることができ、 高山さんは「仕事が取れる、起業のチャンスだ」と考え、起業を決意します。 |
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1999年、アイティーソリューションズ鰍設立 |
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初年度から一緒にがんばってきた 事業部長の岡田成規さんと 社内で。 |
ITの業界に入ってから14年目の1999年3月、高山さんはたった一人でアイティーソリューションズ鰍設立します。 高山:独立コンサルタントみたいな一人でやる仕事でも良いなと思ったんやけど、やる限りは大きな仕事できるように、人を集めてSIが出来るようになろうと思いました。 元同僚の上流システムエンジニアの二人を誘い、初年度から彼らが入社します。 これまで培ってきた顧客チャンネルがあり、初年度から3社と直取引が実現しました。 高山さんの会社の規模では、大抵は大手の下請けとしてプログラミング中心の仕事になるのですが、彼はエンドユーザ取引率100%を達成させています。 高山:普通は会社の看板で仕事を取るじゃないですか。 しかし、自分の経験だと「俺は会社の看板なんかで仕事を頼まないよ。どういう人がマネージャーやってくれるのかで決めるんだ」という顧客がいて、そういうのもヒントになってますね。 しかも、一人でやれる上流工程のコンサルティングの仕事では、本人の能力で選ばれるので、小さな会社でも大手に食い込めるのですよ。 高山:会社では間接人材コストってものすごく大きいのですよ。 他の人が失敗しているのは、会社作っていきなり営業や経理を雇うじゃないですか。 私は社員が20名近くなるまで間接人材は私一人でやったんです。 営業から、経理から、総務から、お茶くみ・トイレ掃除まで。 設立後12年が経ち、社員も40名になりました。 アイティーソリューションズのユニークな経営は、経営データをすべてホームページで公開していることでしょう。 社員の給料・賞与基準も全てです。 全てガラス張りにすることで、風通しの良い社風が出来上がったのだと思います。 高山:この仕事が良いなと思ったのは、バンドの時って努力しても、その結果が目に見えるように返ってこないけど、この世界、こうやって努力して勉強して1段上がるとかすると、本当に見返りがどんどん返ってくるんですよ。 やれば自分のキャリアも上がるし、給料も上がったし。 高山さんは意欲のある若い人の応募を、自身の経験を踏まえて待っておられます。 |
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