自己実現、そして会社実現へ
 


 「何事も10年間一生懸命打ち込めば一流になれる」という言葉を信じて

32歳でバンドを辞めたけど、何もできない。大学にも行ってない、免許もない、肉体的には強くない、
何が出来るか悩む日々でした。


高山:
バンドを辞める前に、江古田の駅前で昼飯を食ってた王将があってんけど、辞めたらこんな仕事をしなあかんのかな〜と見てて、家帰って女房に「あかん、ぼく、あんなんようやらん〜」。

そんな時に、税理士をやっている高校の友人がコンピュータの仕事を頼んだら、ものすごくボラれたらしく
「あんなボロい商売ないで、お前コンピュータやれ。高山やったらコンピュータの仕事向いてるで」
と言われました。
調べてみると、これならできそうでした。

しかし、コンピュータの学校に通うお金も余裕もないので、まずは仕事をしながら独学する事にしました。
当時求人の多かった写植オペレータを始める事にし、短期の写植オペレータの学校に通いました。
この費用の30万円は惠子さんのお母さんに借りました。
2ヵ月かかるところをがんばって1ヵ月で卒業しました。

高山さんは独学でコンピュータのプログラミングを勉強するために、
NECのパソコン、プリンター、COBOLコンパイラーを130万円で購入するという先行投資をしました。
そして、昼間は写植オペレータ、夜は独学の日々が続き、2年で情報処理2種合格を果たします。

 

アイティーソリューションズ

〒140-0001
東京都品川区北品川1丁目8番11号
Daiwa品川Northビル6F


TEL:03-5715-2805
FAX:03-5715-2806


業務
システムインテグレーション
システム開発
ITコンサルティング


社員数:40名

HP:
http://www.itsol.co.jp/



 

 社長相手に宣言「10年で全ての資格を取ります!」

35歳、未経験で念願のソフトウェアハウスに就職します。
しかし、その会社はとんでもない会社でした。
川崎のタコ部屋みたいなところで仕事をやれと言われ、自分のパソコンまで取り上げられそうになりました。
そこを3ヵ月半で辞めました。

次の会社は100人ほどいるソフトハウス(大手の下請けでプログラミング中心の会社)でした。
入社すぐ、3ヵ月半の経験しかないのに、いきなり5人チームの開発リーダーになりました。

高山:この会社の面接の時に、社長、専務を相手に「情報処理試験(1種・特種)、全部10年以内にとります」と宣言しました。
でも、10年以内どころか5年もかからなかったんです。その後にできたシステム監査という資格も7年半で取得しました。


当時「35歳定年説」のあった業界に35歳で飛び込んで「自分には後がない、時間がない」と、
高山さんは人の倍は努力して、倍のスピードでキャリアアップすることを決め、
一切の遊びや付き合いを絶ち、自宅で勉強しました。

そのために仕事も出来るだけ効率よくやって、残りの時間を自分の勉強に当てました。

高山:ある時昼休みに誰かの読んでた漫画を借りて読んでいたら、「えっ、高山さんって漫画読むの?」とびっくりされて・・・。
いつもは昼休みコンピュータの本を読んでいたからでしょうね。


高山さんは10年でIT業界最上流工程の仕事ができるシステムコンサルタントになることを目標にしていました。
3年半で特種を取り課長にまでなったのですが、この会社では要件定義等の上流設計が出来ないと限界を感じ、5年目に転職します。

単なるプログラマーではやれない仕事、経営や業務の問題・課題を分析し、解決策としてシステム構想を提案するシステムコンサルタントとしての能力を身につけるために、高山さんはさらなる実践と勉強を始めます。
そして自分のやりたいレベルの仕事がやれる会社を求めて、5つの会社を転職しキャリアを積んでいくのですが、

高山:ある会社でトラブル続きの大規模SI開発プロジェクトのプロジェクトマネージャをしていた時は、人より早く会社へ行って、帰りは終電という生活をしていました。睡眠時間は4、5時間、それが半年くらい続いたかなぁ。ガリガリに痩せてしまいました。身体がもたないので、そこは3年半で辞めました。

そしてついに10年が経過した頃、提案・コンサルティング担当の部長に就任します。
目標は達成されたのです。


高山:が、何か物足りない。
 
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