都内にある自宅マンション(47F)から 見れる東京の夜景 |
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みんなに知って欲しくなるユニークな同窓生、 がんばってる同窓生を紹介します。 |
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第10回 夫婦それぞれオーナー社長に 高山 明直さん(11期)& 高山(仲田)惠子さん(11期) |
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い つ も 二 人 で ・ ・ ・ |
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高山明直さんと惠子さんは共に川高11期生、そして二人ともオーナー社長というカップルです。 「東京で一旗揚げよう」とバンドマンとして東京へ飛び出した高山さんと、 彼との結婚で溢れるほどの自由を手に入れたという仲田さん。 6畳一間トイレなしのアパートからスタートして、 挫折も経験し、 ひとりはIT会社を立上げ、 ひとりは赤字会社を再建しました。 東京暮らしの方が長くなったのに、 彼の「うちのかーちゃんは」という語り口はベタベタの大阪弁、 「会社では標準語なんやけど・・・」らしいのですが。 高校時代から彼らを知っているのですが、全然変わらない二人です。 |
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七転八起ですか? |
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二人は同じ中学出身。しかしマンモス校だったために互いの存在を知らないまま、高2で最初の出会いを迎えます。 天満駅で仲田さんが友だちと一緒にいるところを、高山さんと一緒にいたクラスメイトが声をかけました。 −最初の印象は? 仲田:変なやつ 高山:顔は可愛いけど、お尻の大きな女の子やなぁ それをきっかけに、集団でのお付き合いが始まりました。 しかし、まだまだ子供ぽかった高山さんが彼女をからかったりして喧嘩、1ヵ月で最初の別離を経験します。 高山さんは中学時代に母を、高校時代に父を亡くしていました。 卒業後は、浪人生活をしながら会計士の兄が担当していたアルサロでバイトを始めます。 住み込みで、昼間は経理を、夜はホステス指名の司会をしていました。 その店に、噂を聞いた高校の同級生が尋ねてきて、彼もそこでボーイのバイトを始めます。 そこから高校時代の友人が集まり始め、新年会が企画され、そこに仲田さんがいたのです。 他の人たちが学生であるのに、ひとり大人の、しかも夜の世界にいる高山さんを見て、 仲田さんは「面白そうなことしてるな」と興味津々だったそうです。 最初の本格的デートは成人式の日でした。 5000円のでっかい犬のぬいぐるみをプレゼントされた仲田さんは大喜びしました。 でも、またすぐに喧嘩、別れてしまいます。 しかし友人が共通だったので、みんなで行った佐津旅行で二人は再会します。 兵庫県香住にある佐津海岸は、川高では毎年夏休みに「スクールキャンプ」を行っていたので、思い出の地でもありました。 そこから始まったお付き合いは、お互いが我ままだったせいですぐに別離になってしまいます。 ところが、二人とも高校時代の友人たちとの付き合いは続いていて、みんなで佐津や輪島に出かけるたびに、再会するのです。 そして「あいつ、今、何やってんねん?」と気になり、また付き合いが始まります。そして喧嘩。 その頃は、長くて3ヵ月、短いと1ヵ月の交際で、7回別れたそうです。 仲田:はよ振らないと、また振られるわ〜と思って・・・。 23歳になって8回目の交際が始まりました。 その頃高山さんはロックバンドをやり始めていました。 パートはベース。 阪急東通商店街にあった「GOGOジャンボリー」に月に1週間だけ出場していました。 |
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それ以外はパチンコ生活でした。 高山:待ち合わせはいつもチェスター(パチンコ屋)何番台で、やった。 仲田さんは卒業後、家の仕事(スチール家具販売)を7年間やっていました。 24歳、二人は結婚を決意します。 高山:結婚決まって彼女の実家に挨拶に行った時、「高山くん、職業、何んや?」と聴かれて、 (惠子さんは)「プロパチや」と答えてました。 結婚半年前に、高山さんはプロのバンドマンとして一旗揚げるために、先に東京へ行きます。 大阪にいても何者にもなれない、ふるさとを捨ててでも自立したかった、彼の決意は固かったのです。 |
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新しい生活はまるで「神田川」 |
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結婚までの半年間、惠子さんは月1回彼のところへ通いました。 そして10月5日、二人は十三の教会で結婚式を挙げました。 両親のいない高山さんとのバランスを考え、友人たちと互いの弟だけの結婚披露パーティでした。 新居は西武池袋線の江古田駅から15分の木造アパート。 6畳一間でトイレなし、洗面台のような小さな流しにコンロひとつがあるだけでした。 高山:仕事から帰ってくると、そんな狭いところで工夫して、かあちゃんはササミフライを 揚げてくれて、美味しかったな〜。あの頃が一番料理してくれていたような・・・。 結婚後半年間は、惠子さんは実家の仕事のために大阪に1週間、東京に1週間の生活を送っていました。 高山さんは友だちの友達を紹介してもらって、いろんなバンドに参加します。 ディスコで、西武園の遊園地で、キャバレーで、色々なところで仕事をしました。 生活しないといけないので、仕事を選んでられなかったのです。 横須賀のベースキャンプで仕事をしたときは、惠子さんも連れて行きました。 ある時から、バンドマスターになり、、自分でメンバーを集めました。 一方惠子さんは、彼に合わせて夜できる仕事ということで珈琲専門店で働きました。 そこで蕎麦屋のおっちゃんにスカウトされました。 惠子:夜だけというてたのに、どんどん長くなって、朝から夜まで蕎麦屋で働いてました。 高山:昼間はバンドの練習があったので、かえって良かったんです。 その頃二人の休日は月に2回しかなかったけど、それでも平気でした。 お金がないから休みには、二人で散歩ばかり。着いた所で喫茶店に入って帰ってくるのが楽しかったし、 ハイキングから山歩きまで凝った事もあって、惠子さんの作るお弁当を景色の良いところで食べるのがすごく楽しかった。 惠子:バンドマンやから、夜遅いから朝起きられへんでしょう。着いたらすぐ陽暮れてまうねん。 高山さんは32歳でバンドを辞めました。 高山:バンドをやるとき、10年やって一旗揚げられへんかったらなんぼ好きでも辞めなあかんな、というのが最初からあったんです。 |
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