中学では自分で立候補して生徒会長に

中学・高校と野村さんは、いつも楽しそうでした。
本人曰く、「もともチョゲやったから・・・」とか。
そんな野村さんに、学生時代のことを聴いてみました。


ー中学時代はどうでした?

中学では、自分で立候補して生徒会の会長になりました。
最初、2年のときも立候補したけど落ちましてね、懲りずにまた立候補したのです。

ー東淀川高校へ進んだのは?

中学時代、担任に進路相談したら、最初から「君は東淀川」って言われました。
「滑り止めは?」って聴いたら、
「そんなの考えんでも良い、お前は東淀川!」でした。
あの頃の東淀川高校は生徒を集めていたのでしょうね。


下段右端が野村さん
 

 東淀川は自由闊達な高校で、僕にとっては向いていたと思います

 
ーどんな高校生やったのですか?

東淀川は自由な雰囲気で、今振り返っても良い高校に入れたなと思いますね。
毎日ほとんど早弁、家から持って行った弁当は10時過ぎに食べて、昼休みは新大阪駅にうどんを食べに行ってましたね。

授業は高校、大学とほとんど印象にないんですよ。
大学もね、最初の2年はちゃんと授業もあったけど、後の2年はロックアウト(学校封鎖)、授業がない中で卒業させてもらいました。

ー野村さんのいた3年11組は個性的で本当に楽しそうでしたよね。

高校時代、そして卒業後も小松さんや高山さんと色々なことを議論していましたね。
「時には天下国家を論じたりして・・・」
アメリカや中国にも目が向いてた。

  野村はディベート、強いんや。(小松)

好きやったんやね、議論することが。(野村)

たいがい最後勝つのは野村なんや。(小松)

普段は大人しいんですが、議論する時は一生懸命。スイッチが入ると止まりません(野村)

論理的に勝つというのもあるけど、結構迫力あるねん。それが仕事に生きてるね。(小松)

ー大学は同志社の法学部ですね?

進学先に外大を考えたこともあったなぁ。

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