「人がやったことなら絶対解決できる!」をモットーに |
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ー同志社法学部を卒業後、岩谷産業に入社されました。最初の仕事は? 最初に就いたのは、経理部の法務関係の仕事でした。 17、8年、契約書のチェックとか、書類の作成とか、弁護士と一緒にトラブルを解決するというようなことをしていました。 学生時代あまり勉強をしなかった分、会社に入ってから猛烈に勉強しましたね。 仕事を通じて育ててもらったと感じています。 ーその頃のエピソードってありませんか? 岩谷産業は役職とかは関係なしに、やりたいと手を上げたらやらせてくれる会社なんですね。 僕も入社して3年目に「法律の本を執筆させてください」と手を上げたんです。 「営業マンのための法律ハンドブック」という本で、自分が経験し学んだ、現場で使える生きた法律の知識を盛り込みました。 この本は後輩が引き継いで、これまでに5回も改訂版が出てるんです。 当時は全部手作りでやるから、さし絵も社内の人に描いてもらいました。 |
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ー法務の仕事ではどんな経験をされました? 何かあったら僕はまず現場に行くようにしているのです。 管理部門だからと後方部隊で座っていたら本質が見えませんからね。 現場に行って、ハッと気が付いたら一番前に立っていることが多かったですね。 最前線に行くというのが問題解決への道だし、今までの人生はそうやって来たんじゃないかと思うのですね。 ーしんどいこともありました? 色々な経験をしましたが、「人がやったことなら絶対解決できる」をモットーにしてきました。 特にしんどいとかつらいと心底思ったことは、振り返ってみるとなかったような気がします。 ー17、8年法務の仕事を頑張られました。その次の仕事は? 総務人事の方に移りました。 人事では、「人事・職務制度」を作ったことを覚えています。 当時はランワード(ワープロ)・ランプラン(表計算)を使ってやりましたが、これは大変でした。 小さな画面を見続けていたもので、目が、腫れましたよ。 今のパソコンと違って性能も悪かったですからね。 でも人事に携ったおかげで、採用しただけではなく、全社的に人間関係が広がりました。 |
イザという時は腹を切る覚悟さえあれば良いと |
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ーでは、野村さんにとって社長の仕事とは? 社長というのは基本的に情報量がないと駄目な仕事だと思います。 席に座っていたら情報が入ってこないから実際に歩いてみるのが一番です。 現場の声を出来るだけ聴いて、それを会社の方針につなげていくのが仕事やと思っています。 営業は席でじっとしていては仕事になりません。用事がなくてもお客様のところに行って 色々話していると商売の種が出てくるものです。 社員は、会社で上役の顔色ばかり伺わず、どんどん外に出て行くべきだと思います。 |
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ー社長の責任って大変でしょう? 責任はめちゃめちゃ重たいけど、それを意識したら駄目だと思います。 最後の責任はとるという覚悟が求められているわけです。 今までもそういう考え方でやってきて自分はそういう生き方しかできないから、 自分自身に正直に生きていくしかないですね。 ー健康管理はどうされていますか? トップというのは心身ともに健康でないと務まらない仕事だと思うので、良い判断をするためにも 健康には気をつけています。 朝は出来るだけ早く出社して、会食とかがない時は出来るだけ早く家に帰り、近所のプールで水泳を するようにしています。 大体1回1キロぐらい泳ぎますが、泳ぐと筋肉がほぐれるんですよ。 こう見えてもまだまだ筋肉は若いですよ。 |
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