同期トップの次長昇格


 

−新しい仕事は?

この本部での仕事は、これまでの事務的なものから、役所や業界内での調整、社内の折衝などまったく違う
もので、大変でしたが非常に新鮮な感覚を覚えました。
また、年金という一部門に限定した仕事から、銀行全体の立場に立った仕事を経験することができて、
会社生活の中で大きな転機をもたらしてくれました。


そして、課長を一年やった後、たまたま組織変更があり、運よく新設部の次長に38歳の時に昇進しました。
この部の部長は統括役員が兼務されていましたから、次長が前面に出て色々と対応することが必要でした。



−やりがいのあるポジションですね

部門全体の大きな仕事や、やりがいのある業務を任されることになり、うれしかったのですが、
実はこれが新たな「禍」の始まりになったのでした。
90
年代の後半、住専問題にはじまり、北海道拓殖銀行、山一證券、三洋証券の破綻など、金融機関を

めぐる厳しい市場環境の変化が連日にように報じられていたことを憶えている人も多いと思います。
その頃には、資産運用部署の部長になっていた私は、これらの金融機関破綻の事後処理に追われて、
大局的な観点に立った、変革を先取りする対応にまで手がまわらずにいたのです。

 

 
 鬱々とした日々が続く
 


−それからの仕事は?

結果として、その後の人事異動で、役員直属で部下なしの理事・本店支配人という閑職に移りました。
そこでは、企業年金の有識者として対外的に発言していくという役割を与えられました。

ただ、このような漠然とした役割をどのように果たすのか、組織的なバックアップ体制もほとんどない中での
暗中模索が始まりました。
理事・本店支配人という肩書きは立派だったのですが、その実態は窓際に移されたように感じました。



観葉植物 バキラ
 
次ページへ