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みんなに知って欲しくなるユニークな同窓生、 がんばってる同窓生を紹介します。 |
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第9回 渡辺医院 院長 渡辺 昌裕さん(4期) |
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スウィングするお医者さま |
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![]() 4月末に、4期の吉村先輩からMailが届きました。 「同期の渡辺昌裕くん、お医者さまだけどJazzボーカルもしています。 彼のライブ・コンサートがあるけど、行きませんか?」 上記のチラシも送っていただきました。 お医者さまでJazzのボーカリスト? 面白そうです。 というわけで、6月18日(土)、梅田ニューサントリーファイブにて 渡辺昌裕さんの第3回Jazzライブに行って来ました。 当日の様子は、「江風会ホームページ」の「同窓会・イベント報告」の 「4期生渡辺昌裕さんのJazzライブ」に掲載しています。 ![]() 癒しの時間を過ごせました。 今回は、その渡辺さんがお医者さまとして登場です。 Jazzライブを一緒に聴きにいった小松さんと、副会長の松本さんと3人で取材にお伺いしました。 さっきまで診察されていた白衣姿のままで、診察室に通していただきました。 白衣の渡辺先生もダンディで、やさしいオーラに溢れていました。 |
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開口一番、同行の松本さんが、 「平成2年に、先生に命を救っていただいたのです。 当時は木川東で開業されていましたよね。 先生のところを受診しその診断によって、北野病院に入院することになり、 日本でも百数十例しかない『好酸球性肺炎』という珍しい病気が見つかりました。 お蔭で今は元気に過ごしております。 あの時は、本当にありがとうございました」 とお礼を述べられ、一同、出会いの不思議さにびっくりしました。 ![]() 渡辺医院は、元々お父様が開業されていました。 渡辺先生は、大阪医大を卒業後、3年間大学病院で研修されました。 ただ医大ではドクターの数が多すぎて、いろんな症例にあたれないので、 当時の指導医に「市中病院の第一線で経験して来い」と言われ、 昭和48年から7年間、北野病院に勤務されました。 ここでは症例をいっぱい勉強させてもらったそうです。 昭和54年、木川東で独立されます。 「親父のやり方とは違うし、自分は自分でやってみようと思った」そうです。 そのお父様も高齢になられ、そろそろ後を継ごうと考えていた矢先、 平成7年の阪神淡路大震災で被災されました。 1年かけて建替えた平成8年から、塚本にある現在の渡辺医院で院長をされています。 −Jazzとの出会いは? 小さい頃から音楽が好きでした。 父親が社交ダンスが好きで、レコードが沢山ありました。 音楽といってもクラッシックではなく、グレン・ミラー楽団やベニー・グッドマンとかですね。 家では音楽が流れ、父親がダンスのステップを踏んでいました。 それを聴いて育ったので、アメリカの音楽が好きになりました。 高校に入ったら楽器をやりたかったですね。 −高校のクラブ活動は? 楽器がやれるとおもって音楽部に入ったのですが、 当時はブラスバンドがなくて合唱の練習ばかりでした。 全国高校合唱コンクールにも行きましたが、見事予選落ちしました。 2年生になって美術部に入りました。 その年に学校にプールが完成したので、水泳部にも入部しました。 油絵も描いてましたが全然才能ないと思い、 水泳部に入ったけど成績もあまり良くないし、あまり練習してなかったですね。 3年生になって、クラブの籍はそのままで、自分らで写真同好会を立ち上げました。 ようするに芸術家気取りが好きやったんかな。(笑) |
![]() 渡辺医院 |
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略 歴
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