獣医は人が好きな方が良いんです



―どんな高校生活でした?

本当に楽しかったです。
あまり勉強はしなくて、放課後になると、友達とゲームセンターで遊んでましたね。

2年の文化祭では、教室で「夜店」をやったんです。
ブロックを敷いてそこに砂利を敷き詰め、もちろん怒られたんですが。
金魚を仕入れてきてリヤカーで運び、金魚すくいの店を出したり。
クラスで企画して、みんなでがんばりました。
3年では、ピアノを運び込んで、ギターとの生演奏の店を開き、コーラを売りました。
いざとなるとクラスが一丸となるんですね。

3年の体育祭の仮装行列では新グロモントのCMキャラクターになりました。
白い袋の中に入り、グランド3/4をうさぎ跳びで回るのです。
何も見えないので、前を進む友人の「左、左、次カーブ・・・」という声だけを頼りに。
ヘトヘトに疲れました。

ある日先生に「お母さんに来てもらってくれ」と言われました。
呼び出し?
母に言うと、「何したん?」
後で知ったのですが、先生は「今どき詰襟のホックを外す事もなく、無遅刻、無欠席なんて生徒は本当に珍しい。お母さんに会ってみたかった」そうなんです。

−1983年に開業されたのですね。

実家が千林大宮にありますので、近くを探しました。
実は下関から帰る2日前に祖父が亡くなりました。
祖母も両親もいるので、何かあったらすぐに実家に駆けつけられる場所を探したのです。
それが現在の医院です。
オープンしたのは8月2日でした。
オープンした当日は誰も来ないだろうと思ったのですが、猫の避妊で近所の人が来てくれました。
開業以来28年になりますが、受診0の日はないんです。
鳥が1羽だけの日っていうのはあるんですけど。

鳥といえば、オーストラリアから来る渡り鳥のハシボソミズナギドリが道で弱っていたと、近所の人が連れて来てくれたことがありました。
(上田さんは「野生鳥獣救護ドクター」として傷ついた野生鳥獣を無償で治療する活動をしておられる)
預って4、5日治療して淀川に返してやりました。
そいつが大きく羽ばたいて空を飛んだときは嬉しかったですね。

ハシボソミズナギドリ
    体長40センチほど。長いツバサを全開したときの
    左右の幅は1m近くになる





−ペットブームですね。

そうですね。
愛するペットが亡くなってペットロスになる方もおられます。
動物はしゃべれないので、家の方が異変を感じて連れてこられます。
その時はすでに重症になっている事が多いのです。
検査をして、消去法で原因を探していきます。

動物にとって怖い病気の一つ、フィラリアの予防薬投与を春に行いますが、その時必ず血液検査をします。
その検査結果で異常がなくても、検査データーは大切に保管します。
その子の元気な時の正常値を知っておくと、病気の時の値と比べ、より正確な診断ができるのです。

病気の原因によっては、専門医を紹介しています。
うちはホームドクターの動物病院という位置づけです。

−長く獣医を続けてこられたのは?

人が好きだからでしょうね。
獣医は人が好きな方が良いと思っています。

犬も猫も、ペットは人より先に死んでしまいます。
病気を治療し、元気で長生きする手伝いが出来たとしても、
最終的には「どう納得のいく死なせ方」ができるか、が私の仕事です。

ペットが死んだ時、悲しみの中にもかかわらず、飼い主が「ありがとう」と言ってくれる、
気持ちが癒えて、また新しいペットを連れて来てくれる、
そんな時が最高ですね。


スタッフは上田さん以外に
獣医師一人
動物看護士4人




待合室の受付は看護師さんたちの
アイディアで可愛く飾られていた

 



明るくアットホームな雰囲気の受付




掃除の行き届いた診察室



清潔な手術室



全面に鉛が施されている
レントゲン室




高価な検査機器の並ぶ検査室
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