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![]() どういう理由で賞をあげたのかということが 英語で書かれているポスター |
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みんなに知って欲しくなるユニークな同窓生、 がんばってる同窓生を紹介します。 |
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第11回 「世界女性化学賞」を受賞された 相馬芳枝さん(3期生) |
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賞は、マイノリティな存在の女性科学者たちを励ますためにある、と思うのです |
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![]() 「相馬です。 お手紙ありがとう、嬉しかったです」 昨年の夏、思いもかけないお電話をいただき、私は驚きとともに舞い上がってしまいました。 昨年2011年、キュリー夫人のノーベル化学賞受賞100年にちなんで世界の女性化学者23人が表彰されました。 その中に日本からただ一人、先輩の相馬芳枝さんが選ばれたのです。 このニュースを、キャッチすると同時に「江風会ホームページ」のトップページに掲載しました。 そして、心からの「おめでとうございます」の気持ちと、 このニュースを「江風会ホームページに掲載した事後承諾のお願い」の手紙を送っていました。 しかし、ご本人から電話がいただけるなんて夢にも思っていませんでした。 とても優しい声に勇気を得て、ドキドキしながら取材を申し込みました。 昨年いっぱいは目の回るような忙しさでしょうから、年が明けて少し落ちつかれた頃に・・・と。 その約束が実現しました。 3月も終わりに近づいたとはいえ寒さに震える日々の中で、温かな風が頬を撫でる、そんな日でした。 |
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−「世界女性化学賞」の受賞、おめでとうございました。 8月にプエルトリコで授賞式がありました。いかがでしたか? 感動しましたね。 IUPAC(国際純正・応用化学連合)という国際会議の中で行われましたので、 日本からも30人位行ってまして、授賞式の日にすぐ祝賀会をやってくださいました。 沢山の方が集まってくださり、本当に嬉しかったです。 ![]() 女性っていうのは、化学の世界ではマイノリティ(少数派)なのね、 それで頑張っている女性化学者を励ますために賞を下さるんです。 IUPACの次の会長が日本人なんですよ、名古屋大学の巽和行教授。 日本としてはとても名誉な年でした。 −高校時代はどんな生徒だったのですか? 私は高校1年の夏休みに、田舎から転校してきました。 山口県の生家は農家で、私も毎日農作業を手伝っていました。 父は農業が嫌でね、大阪で働いていました。 このまま山口にいたら上の学校に進学できなくなるかも、 と家族で父のいる大阪に出てきました。 もともと大人しい性格でしたが、 1年の2学期からの中途転入で、田舎から来たので大阪弁が使えない、 ということもあって、とてもシャイで目立たない女の子でした。 理系が好きだったのは、子どもの時から自然に囲まれて育ったせいでしょね。 −大学に進まれたのですが、最初から化学者を目指されていたのですか? いえ、最初はお医者さんになりたくて医学部を受験したけど、落ちましたのでね。 神戸大の理学部に入ったのです。 でもね、折りあらば医学部へ転部したいと思っていました。 ところが理学部に良い先生がいらっしゃって、小林正光先生とおっしゃるんですけどね。 「実験に興味のある人はいらっしゃい」と言って、 自分の研究室を開放して学生を受け入れておられたのです。 で、10人くらいが行きましてね、私もその一人でした。 大学1年生ってまだ子どもですからね、 先生の側からいったら何の役にも立たない、邪魔なだけ。 でも、子どもの私はそうは思わない。 先生の重要な研究のお手伝いをしてると勘違いしちゃったのね。 カッコイイと思って、で、将来は化学の研究者になりたいと思い、 初めて心が化学に定着しました。 まだ子どもですから遊ぶ事が面白いんです。 もちろん実験するために行ってるんだから先生もテーマを与えて、 発表会ってものを設定されるんです。 やりっぱなしではなく、まとめて人前で発表するってことが大事なんですね。 で、前期の終わりに発表会をやって、 夏休みになったらキャンプに連れて行って下さったんです。 それが楽しかったですね。 小林先生との出会いがあったので、化学者への道に進んだのでしょうね。 |
![]() 受賞の舞台で |
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略 歴
![]() 受賞者紹介のポスターがずらーっと並ぶ。 ご自身のポスターの前で |
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