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−カリフォルニア大学には何年くらいおられたのですか? 1年間だけです。 もっと居たかったのですが国が認めてくれてるのは1年だけだったから。 27歳の時に同じ研究者仲間と結婚していましたが、単身でアメリカへ渡りました。 しばらく子どもを持たなかったのですよ。 それは研究者としてまだ自信がなかったからですね、 そんな自信もない状態で子どもを持ったら私は潰れてしまうだろう、 まず自分を確立できてから子どもを持とうと思ったのです。 それがカリフォルニア大学では子どもを持って研究されている方は沢山おられました。 私のボスが女性教授でね、スター教授だったんですよ。 美人でね、闊歩しておられるの、カッコいいんです。 真っ赤なスーツを着て、家では2人のお子さんがいるんです。 旦那さんともラブラブでね。 「こういうことができるのか」と驚きました。 |
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帰国して、40歳で子どもを産みました。 カリフォルニア大学の女性研究者たちに目を見張ったのも大きかったのですが、 もう一つ、帰国後、定期健診を受けたら子宮筋腫が大きくなっていて、 もう切らなきゃいけない状態になっていたのです。 まだ子宮使ってもいないのに、持って行かれるのは淋しいなと思って 慌てて子供を持つ気になりました。 で、40歳で子どもが出来ちゃって、それからが苦労の始まりです。 子どもをもってからの育児と研究の両立は本当に難しかったですね。 −旦那さまの子育ての援助は? 主人はあまり手伝う人じゃないんだけど、文句を言わない人で助かりました。 大家族なんですよ、うち。 家は別棟なんだけど、敷地が一緒で、 そこに姉妹みんなが家を建てて住んでいたのです。 大変な事もあったけど、子育ては助けられました。 姉妹がたらい回しにして見てくれたのですよ。 子どもは保育所に入れたけど、病弱で止めてしまったのですよね。 子育てしながら実験分野で働くには、協力者がいないとできませんね。 |
![]() 受賞の楯を持って カリフォルニア大学のジョージ・オラー教授 &娘のめぐみさん (帰りにカリフォルニアに寄って受賞を報告) |
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−通産省での次の研究テーマは? 平成の始め頃、 今度は地球の温暖化を防止するために二酸化炭素を燃料に変換しよう という研究を始めました。 ここで初めて私に部下がつきました。 そこでも、私はやり手の仲人さん「触媒」を使う方法を考えたの。 フランスとも共同研究をしました。 二酸化炭素の反応の相手として必ず水素がいるのね。 この水素をいかにして作るか? 水を分解して作るんだけど、 これには二酸化炭素を出さずに使うために太陽電池がいるのです。 −水素と二酸化炭素を反応させたら車が走るのですか? 走るんですよ。 プロパンガスもメタノールも技術的には出来るんです。 なのにどうして利用してないかというと、水素が高いからなのです。 お日様の持っているエネルギーの15%ほどしか電気にならないのです。 85%はロス。 今、太陽電池の研究者たちは効率をもっと上げて、 50%まで電気に変えましょうという研究をされています。 これができたらすべては解決します、でも、難しい! 問題はコストです。 水素をいかに安く作れるか。 二酸化炭素の資源化法は、技術的には出来上がってるのですけどね。 |
相馬さんの研究成果 2 ![]() 酸化銅、酸化亜鉛、酸化鉄、ゼオライト等 の組み合わせにより活性の高い触媒を調製し、 この触媒の存在下で、 二酸化炭素を水素と反応させて、 メタノール、メタン、プロパンガス、ガソリン等 の燃料に変換する方法を確立 ![]() 水素を作るために、太陽電池を使用 |
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