後輩の女性科学者たちのために

 
−2002年、日本化学会の「男女共同参画推進委員会」を立ち上げ、
初代委員長を務められました。
それは?

一番大きな理由は男女差別があったということでしょうね。
上司に「成果で勝負しろ」と言われ、成果は出しました。
同期の男性には負けない。

けれど、ある時期に室長になるかというと、男性はなるけど私は遅れましたね。
で、今度は部長になるかというと、私より若い男性が次々に部長になるわけね。
私はついに部長になれませんでした。

で、いくらシャイな私でも、これはおかしいと遅くなって気が付くのね。
私がシャイじゃなかったら闘えたと思うし、闘うべきだったと思うの。
でも、大和撫子の私は闘えなかった、それがすごく
悔しかったの。

そういう気持ちがあったから、これはいけないということで、
「男女共同参画推進委員会」を作るのは大事だと思いました。


また、物理学会や生物学会などと連携した「男女共同参画学協会連絡会」
設立することになりました。


でも、作るだけじゃ駄目で、政府に働きかけないといけないのです。
男女平等は法律では認められていても守られてないからね、

第3期科学技術基本計画というのがちょうど草案されている時で、
それに向けて女性の活躍促進

要するに女でも能力があれば採用して下さい
子持ちでも研究しやすいような環境を作って欲しい
ということを基本計画の中に盛り込んでくださいという要望書を持って政府に行ったのです。
この時はたまたま連絡会の第3期委員長だったんです。


文科省や内閣府の局長クラスの人に会いました。

でも、行ったらただでは帰れない、
難しい宿題(例えば、女性研究者の採用をふやすにはどうすれば良いか
をもらってくるのです。
ひとりではとても解けないような宿題でした。
でも、連絡会の他の分野のメンバーに救われました。

また、内閣府には男女共同参画を進めたい女性の課長さんがおられて、
指導していただけました。

−ここでも人に救われたのですね。

そうそう、それで
私たちの要望はすべて取り入れてもらえました。

予算が18年からついて、
その年に募集があって10の大学が「女性研究者支援事業」に採択されました。
女性が働きやすい環境にする予算が1大学で4000〜5000万円ほどついたのです。

具体的にどんな事をしてるのかというと、
女性が苦しいのは育児をしている時
なのですね。

保育所に預けていると5時、6時には迎えに行かないといけないから
どうしても実験が出来ない。
私なんかは、実験ができないというのを諦めた世代なのだけど、
そこで力が落ちるのね。

そこを助けるために、研究支援員をつけましょうということを
多くの大学が始めたのです。
その人は6時に子どもを迎えに行くけど、学生アルバイトがその後をやってくれる、
そのことで、研究の能率が落ちなくて学会賞を取ったり、
2人目、3人目の子どもを産んだり、みんな喜びました。

多くの大学で、学内に保育所ができました。

在宅勤務でテレビ会議でグループの人と状況をやり取りする研究機関も出てきました。

そしてお茶の水大では9時〜5時勤務を始めました。
大学っていうのは旧いところで、5時から会議しましょうっていうのが多かったのですよ。
それだったら子持ちの人は出られないのですよね、
自然に情報に疎くなる、自分の意見も反映できない。

−定年退職後、神戸大学の特別顧問になられました。ここでは何をされているのですか?

女性研究者を支援するってことをやっているの。
女性研究者養成システム改革(目的:女性採用)と、
女性研究者支援モデル育成事業(目的:環境整備)を
全国で65の大学がやっています。
その中の一つとして神戸大学もやっているのです。

 
   神戸大学の女性研究者支援



全学で女性を20%採用しようという
努力目標を決めました。

次に職のない博士課程を終えた人を
学長裁量経費で採用して、研究室に貼り付けて、
その中で研究力をつけてもらって、
行く行くは教官として採用してもらいましょう、
ということを決めました。





また、育児中の研究者に支援員をつけました。
研究の手伝いをしてもらいます。
育児の手伝いはしませんよ。(笑)

それは学生アルバイトの支援員の側にも、
良い刺激を与えました。
先輩の姿を見て、私も博士課程に行こう
と思う学生も増えたのです。

メンターといって先輩がアドバイスするのですが、
メンターとの相性を知るために、
キャリアカフェというのを頻繁にやりました。



女性の数が理・工・農は少ないのです。
だから女性教官を増やしましょうと、5年間に計画的に
21名採用しましょう、倍増やりましょう、と決めまして、
これは現在成功しています。

そして採用するだけではなく、成果を出してもらうために
研究費の補助もしています。
国際学会に参加できるように、英文をチェックしてあげる
参加費の一部をもってあげる
というようなこともしています。




 次代の女性たちに理系の素晴らしさを知ってもらうために
 
 



女子高校生に大学の理系に入って欲しいので、
女子中高生に対して「関西科学塾」というのをやっています。

これは、京大・阪大・神戸大・奈良女子大、大阪府大で協力してるのです。

去年は200人以上が神戸大へ来てくれたのですよ。
実験を中心にやってもらいました。

こういうチラシを毎年1万枚配ります。

嬉しかったのはね、
東淀川高校の生徒がね4人、3月に来てくれたのよ。

本当に嬉しかった。
6年続けてやっていて、東淀川が来たの、初めてでした。


部活の先生が「行ったら?」って勧めてくださったのでしょう。

ここでは講義を聴いてもらうんじゃなくて、実験してもらうの。
理科の面白さは実験してみて初めて分かるの。

黒板で書くような話聴いていたって何にも面白くない。
準備する側は大変なんですけどね。
手間隙かけて実験させたらね、心に何か響くと思うの。
「面白い!」と。
それをきっかけにして理系に進んで欲しいなと思っています。


 
 琴は師範の腕前、カーネギーホールで演奏も


 −最後になりましたが、2009年にカーネギーホールで琴の演奏をされたとか?
お琴は幾つの時から?


小学校3、4年から始めました。
母の影響ですね。

大学の1年のとき、準師範になる試験を受けて免許をいただいたのです。
それで家庭教師のバイトの代わりに弟子を取ったのです。
たまたま私の先生に事情があって辞められたので、その後引き受けるってことになりました。

それで、就職してからも琴を教えていたのです。
が、27、8歳の時に仕事とのジレンマに悩み、研究一筋でやろうと決心し、やめました


−では、練習だけはずっと続けておられたのですか

少しだけね。
個人的に家で弾くことはあっても、対外的な演奏活動はほとんどしませんでした。


カーネギーホールでの演奏(日本の祭典という日本紹介と観光客誘致を目的としたもの)は、先生が昔の弟子を呼び出して参加を促してくださったからなのですよ。
尺八のソロは人間国宝の山本邦山先生で、琴のソロは邦山先生のお嬢さん、私はその他大勢です。

急に言われたから、半年間は夢中で練習しましたよ。



         相馬さんがカーネギーホールに出演された時の
         メッセージを、左図をクリックすると読めます。

 




 
    今回取材に参加した松本恵美子さん(11期生)はプロの琴の演奏家です。
   私は高校時代、松本さんと同じ筝曲部でした。
   女3人で琴の話で盛り上がりました。
 (児玉京子)
 
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