小6から女子アナ目指して一直線

―最初からプロ志向というのはすごいのですが、アナウンサーになろうと思ったきっかけって何でした?

小6の時、先生から「ひなまつり」について読んでくれと頼まれ、校内放送されたんです。
それに味を占めたというか。
小さい頃から日舞をやっていて、人前で何かするのが好きでした。
拍手されるのが嬉しいんです。
学芸会も大好きなんですよね。

十三中学校でも放送部でした。




―大学は、大谷女子短期大学に進まれたのですが、そこでも放送部でした?

大学では放送部がなかったんです。
で、仕方がないから演劇部に入りました。

当時の演劇部というのは、学生運動のハシリの頃やったから、
大阪外大との合同公演なんかで、一緒に芝居した男の子たちは、
難しい演劇論なんかをしゃべってはって、中々刺激的でした。
そっちの方に引っ張られる同級生もいましたね。

でも、私はプロ指向やったから・・・。
その頃は向井さんとも付き合ってましたし。




―卒業後、どうされたんですか?

どうしてもアナウンサーになりたくて、在阪の各局に電話したんです。
「アナウンサー募集してませんか?」って。
でも、募集してるのはNHKだけでした。
そしてNHKは短大卒は取らないのです。

それで、川高の先輩で当時タレントとして活躍されていた荻野恵子さん(6期)に相談しました。

そしたら大阪にも「生田教室」というアナウンサー養成学校があることを教えてもらいました。
さっそく電話してみました。
「お金がないので見学だけでも良いですか?」って。
行ってみたら、みんながんばってはるんです。
級長は、なんと角淳一さんやったんです。
「ホンマに月謝払って勉強してる」
やはり自分で何とかしなくちゃ、と思いました。




―で?

またまた荻野恵子さんに相談しました。
大阪にもTTC(テレビタレントセンター)という、電通などが出資して作った養成所があって、そこなら夜6時やからバイトも出来ることを知りました。
ここのオーディションに合格したんです。
昼間は、阿倍野近鉄百貨店の家具売り場で働いて、夜はレッスンです。
講師はすごかったですよ。
発声や発音だけやのうて、日舞にバレー、体操まであるんです。
西野バレー団の西野 皓三さんとか、ね。
当時は生CM全盛やったから、それができるタレントが必要やったんでしょうね。


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