大阪弁でしゃべるタレント第1号



ABCラジオ  日曜さくらい倶楽部





MBSラジオ  唐さん・一枝の
艶歌でOH!きに

―いよいよタレントとして活動開始ですね?

最初にやった生CM、「牛乳石鹸」「ヤマハエレクトーン」、今でも覚えてますよ。

昭和44年1月から「ABCヤングリクエスト」のレギュラーになれて、嬉しかったです。
ヤンリクは勉強しながら聴いてましたから、憧れですよね。
ヤンリクの心得ってあるんですよ。
「一山の石炭より一粒のダイヤモンド」、これは放送中はたくさんの言葉であれこれ喋るより、少しであっても気の利いた言葉を喋ること、という意味です。
今でもできてるかな?
難しいですね。

ヤンリクでは標準語を使ってたけど、正反対のキャラを要求される番組が、44年6月から始まった、OBCの「バンザイ歌謡曲」です。
ここでは完全に大阪弁。
出演者も、月亭可朝さん、つるべちゃん(笑福亭鶴瓶)、コメディーNo.1さん、田淵岩夫さんなどすごいメンバーでした。
ここで徹底的に鍛えられましたね。
アドリブの応酬ですから。


―結婚されたのは?

46年に結婚した時は、レギュラー10本を抱える売れっ子でした。
ヤンリクで「結婚します」って公表したんですよ。
それから、「妊娠しました」というのも番組中で報告したんです。

そうですね、結婚より子供が生まれた時の方が大変でした。

48年3月で仕事辞めました。
48年7月24日に子供が生まれました。


  ママさんタレントでも先駆者に

次ページへ ―出産後、復帰されたのはいつ頃ですか?

それがね、2ヵ月半で復帰してるんです。
家にいても退屈やし、仕事したいなと思いました。
バックアップしてくれてた事務所に言ったら、
「それやったらすぐに帰っておいで」って言われて、
今までレギュラーやった番組に、10月から戻れる事になりました。

向井さんに言ったら、
「しゃあないな」と言ってくれて、
子守りは、母と家族が引き受けてくれました。
子供は、みんなで育ててもらえました。