平成19年に開設された彩都友紘会病院。
 重厚な気品ある建物は、とても病院には見えません。
みんなに知って欲しくなるユニークな同窓生、
がんばってる同窓生を紹介します。

第4回
 
医療法人友紘会理事長・友紘会総合病院院長   
  
そして江風会会長でもある   林 豊行さん(8期)

 
「喜ばれ、頼られ、望まれる」地域医療のために



江風会会報誌「The 川高」を開くと、最初に目に飛び込んでくるのが全面広告「医療法人友紘会」でした。
しかも、この「友紘会」のページにはは8つもの大きな病院が紹介されています。
そのトップリーダーが、8期生の林豊行氏。
その上、林氏は現在の江風会の形を創られた江風会元会長だとか。
否が応でも興味が湧いてきます。
というわけで、今回の「紹介したい同窓生」に登場ねがいました。

懐かしい万博の跡地を走るモノレール、終着駅の彩都西駅から少し歩いた高台に、
ホテルのような友紘会彩都病院が見えてきます。
この「友紘会」最新の病院に林氏を訪ねました。

超多忙の中にも関わらず、にこやかに迎えていただきました。
同行者は、江風会役員の小松さんと松本さん。
顔なじみの彼らでも知らなかったお話をいっぱい聴く事ができました。


        「友紘会」の名は、
        医療を通じてあらゆる人々と広く友好的に結びつき、
        より良い医療を追求してゆくことを理念として付けられたそうです。




       医科大卒業8年目に、いきなり大病院を建設

−川高を卒業されて大阪医科大学に進まれました。昭和47年に卒業されていますが、その後は?

卒業後も医科大学に2年間いました。3年目から阪大の第一外科に勤務し、
国立愛媛病院などいくつかの病院を回りました。

−大学卒業後8年目の昭和55年に、今ある友紘会総合病院を創られたのですか?

友紘会病院を創った時は33歳でした。
阪大を辞めて、2年間堺の清恵会病院に勤務しながら開業を準備を進めていました。
その頃、新聞で「千里ニュータウンは医療砂漠である」という記事を読んだのです。
あの広いニュータウンに救急患者を受け入れる病院がほとんどない、というニュースです。
「これだ!」と思いました。
千里ニュータウンの方が利用できる病院を創ろうと。

−そしていきなり大病院を?すごいリスクを抱えられたのですね。

すごいリスクでした。

救急病院としてスタートした友紘会病院は当初から216床ありました。
ICU(集中治療室)も持っていました。
当時はICUを持っている救急病院は少なかったのです。
開設して1ヶ月目で「これは当る」と思いましたね。
救急車が5台くらい数珠繋ぎで入ってくるのです。

−人々が本当に必要としているものを供給する、これがビジネスチャンスですね。

開業準備する中でどのような病院を創るか、ずっと考えアンテナを張っていました。
それで新聞記事を見た途端、「これだ!」と思えたのですね。


−ご実家がお医者さまだったのですか?


いえいえ、商売をしていました。

−では、病院建設の資金は?

伊藤忠グループのセンチュリーメディカルと、住友生命、淺沼組が協力してくれました。
「こんなことをしたい」という話に乗ってくれて、事業を組み立て融資してくれたのです。

−弱冠33歳の若いお医者さまに、ですか?

熱意と勢い、ですね。

−それにしても、普通は開業というと町の小さなお医者さまでしょう?
最初から病院を建てようと?


最初から病院を建てるつもりでした。
33歳でいきなり院長になったものですから、スタッフの医者はみんな年上なのです。
ですので、クレームを持つ患者さんに「院長を呼べ」と言われて、私が出て行くと、
「こんな若造ではわからん、院長を呼べ」と怒鳴られたり。
いろいろなエピソードがありましたよ。



−医者になりたいと思ったのは?

小学生の頃から医者になりたかったのです。
兄が肺を悪くしていまして、難しい手術を受けました。
3人に一人が亡くなるという大手術に成功しました。
その手術をしてくださった医者を見て、
「医者はすごい」と。
本当に医者が神々しく見えました。

−それで医者になるための努力を?

高校時代は勉強しませんでした。
水泳部に入っていたのですが、クラブ活動に疲れ果てて勉強どころではなかったのです。
1浪して、その1年間はものすごく勉強しましたね。



−平成19年に、ここ彩都友紘会病院を建設されました。


「がん治療に特化した」病院です。
もちろん他の病気も見ていますが。
これまでの集大成のつもりです。

日本はがん治療の後進国だと言われています。
これまで、癌と言えば切る、という外科中心の治療でした。
そのためそれ以外の治療、集学的治療が遅れました。
この病院では、手術だけではなく集学的治療を行っています。

また「緩和ケア」も行っています。
「緩和ケア」とは、がんを患っている方とご家族ががん治療を受けながらもその人らしい生活ができるように、がんやがん治療に伴って生じる身体や心のつらさを和らげるケアです。  
そのための緩和ケア病棟も開設しました。

−サンルームを拝見しました。
とても居心地が良いですね。


患者さんやご家族の憩いの場になっているようです。



サンルームからベランダに出ると屋上公園です。遠くの山並みが眺められます。

医療法人友紘会のあゆみ


昭和55年  友紘会病院(救急指定)
         として開設(216床)



昭和57年  皆生温泉病院開設(180床)



昭和60年  新館増設・総合病院
         (329床)となる
昭和63年  奈良友紘会病院開設(198床)


平成2年  友紘会病院の名称を改め、
       友紘会総合病院(328床)となる
平成9年  医療法人 友紘会 設立
平成10年  新館に療養型病床群をおき
        (311床)となる
平成12年  皆生温泉病院 新館 増設
        介護療養型医療施設 
           「ゆうゆうの里」
        皆生温泉病院横に開設
        通所リハビリテーション、
        在宅介護支援センターを併設


平成14年  指定介護療養型医療施設を友紘会         総合病院内に開設
平成16年  奈良県北葛城郡上牧町に
        西大和リハビリテーション病院を
        開設


平成18年  (関連施設)奈良県北葛城郡上牧          町に介護付有料老人ホーム
         友楽の杜西大和を開設


平成19年  茨木市彩都に
         「がん治療に特化した」
         彩都友紘会病院を開設
 






 

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