僕の役目はみんなにやる気を出させることだと気付いた




―劇団に入ったのはなぜですか?

ただただテレビに出たかったからです。
高1から7〜8年間在籍していました。
テレビ番組の再現ドラマ、ラジオCM、などに出演したりもしていました。

劇団の事務所の1階にレストランがあり、そこに企画を持ち込んで、音楽イベントのプロデュースもしました。
これは誰もやったことがなく、前代未聞でした。
しかし、みんな喜んでくれ、やりがいがありましたね。
 
勿論沢山失敗もしました。身体を壊してしまったのです。
なんでも1人で抱え込んでしまったことが原因です。
 
そして、この失敗を教訓にして「人にまかす」という事を学びました。
この経験が無ければもうすでにお店と身体を壊していたことでしょう。
そう思えば大学の時に失敗を学べて大変幸せでした。
今も体調管理優先にしているおかげで私も兄も元気でお店を切り盛りしています。
疲れた顔はお客様に良い印象を与えませんから。
 
―大学は?

2000年に大阪芸術大学舞台芸術学科演技演出コースに入学しました。

―大阪芸大って入試、難しかったでしょう?

頭が良くないので大学なんて無理だから働くつもりでいました。
しかし、芸術大学の存在を知った時、気持ちは進学に向かいました。

大阪芸大の美術科を受けるつもりで、美術学校に通いました。
 
受験前には夏期講座に通いました。そこで、役者の学科もあることを知ったのです。
しかも自己推薦入試では学科試験がないのです。
頭の悪い私にとってこれは大変ありがたい内容でした。

競争倍率10倍200人中20人の狭き門でしたが無事合格出来ましたが
、担任の先生に信じてもらえず何度も「ほんまか」?聞き返されました。

―大阪芸大では?

脇役から主役までやらせてもらいました。
私自身、最後のお芝居には安倍公房の「快速船」で物語のメインである「ガイコツ」役を努めました。
シアター・ドラマシティでシェークスピアの「真夏の夜の夢」の職人の1人を演じた事もあります。

お芝居といえば、高校の文化祭でも企画・演出をしました。
3年生の時、体育館全体を刑務所という設定の「大脱獄」という芝居を企画演出しました。
体育館を縦横無尽に駆け上がり2階から飛び降りるという結構危ない演出もしました。
怪我人を出さないように、マットを敷き詰めて、何度も練習して。
とても盛り上がりました。
みんなの力て何かを成し遂げるのが最高ですね。
楽しかったですね。





店の空間デザインも自分で手がける
シンプルかつシックで落ち着いた雰囲気







壁面をアーティストに開放している
この日は川端美帆子さんの写真展
バックは彼女撮影の「北海道」


 
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