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「江風会室」で見つけた歴史の証人たち、記念誌、会報、アルバム等のささやきに耳を傾けるコーナーです(管理人)

2010年3月


1.創設期の東淀川高校


「創立五周年記念誌」には、川高創立時の信じられないような逸話が満載でした。
なにしろ、創立時にはまだ学校が建ってなかったのですから。
入学式は北野高校で、授業は新北野中学校3階の4教室を借りて行っていたのです。
その頃の話を、「座談会-「想い出を語る」で知ることができます。


座談会出席者(発言順)
内山先生・小松校長・勝山教頭・門田先生・井上先生
玉田さん(1期生)・新開さん(1期生)・広瀬先生・中村先生・森田先生


新北野中学校での間借り教室からのスタート

内山       初めに、本校が市内第一学区に新設された事情を…。

校長       入学難緩和の為に、新設校が必要となり、豊能、東淀川、西淀の三地区で設立を要望したが、西淀は適地なし、差当り豊能を本校の調整地区とすると云う条件で、結局東淀川に決まった。

内山       名前は何故「東淀川」と決まったのですか。

校長       新設高名は設置された場所の名がよかろう、とは大阪府の主義だ。然し「宮原」では表わす地域が狭すぎる。関係者の要望を満たすには比較的広い地域名がよかろうというので「東淀川」と区名に落ちついたと聞いている。

内山       それでは、写真を見ながら色々な思い出話をお願いします。最初の先生の顔ぶれの写真からお話下さい。




4月5日 北野高校の応接室で開校準備

勝山       これは入学式打ち合わせのときの写真ですね。本校最古のもので、記念になりますな。
北野の応接室でして、こゝで開校事務をした。いわば開校本部でしたな。


門田       しかし、皆若かったんですな・・・・・・今でも若いが。(笑)

勝山       入学考査は、北野の先生がしてくれて。

門田       発表の翌日、生徒を集めたのが最初で、三月二十日頃でしたね。風が強い日だった。発表がふくれあがったので、勝山先生に押さえてもらって、ノリではったのを想い出します。

井上       あの日は、校長、教頭を除いて門田先生が一番早く来たな。

校長       とにかく、えらかった。半月の準備で目方が一貫目減りました。



4月7日 第1期生入学式(150名)北野高校講堂

内山       一期生として、玉田、新開両君に伺いましょう。この学校にね、入学した動機とか、入学式の頃のことを話してください。

玉田       古い話なので・・・・・・忘れてしまったけど・・・・・・兄達が絶対府立に入れといってたので、こゝが新設されると聞いて、急いで申し込んだのです。入学式は、北野の講堂でやった事ぐらいしか覚えてません。発表の時の学校での注意の方が。よく覚えています。

新開       僕なんか、中学の先生に、進学はまかせきりだったから、入試の注意は、北野の受験生と一緒に並んで受けました。

玉田       社会科の時間に、勝山先生が「どうゆいう理由でこゝを受けたか」と聞かれて弱ってしまった。(笑)

勝山       旭高校が、三、四年で立派になったから、この学校も旭高校と同じ様によくなるだろう、と思って入った。という女生徒の言葉が今でも思い出されます。

内山       新北野中学校での間借り生活はどうでしたか。

校長       新北野の門田(もんでん)校長は、ずいぶん東淀川の事を考えてくれました。

勝山       そうでしたね。

井上       間借りの為か、授業態度がよかったですね。人数が少ない事も影響したらしいが。




新北野中学校3階の4教室を借りて授業をしていた



新北野中学校の3階廊下で生徒朝会を実施
毎週月曜日の朝、行っていた

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