■太田さんが卒業されてから、吉本に入って活躍される現在までの経緯を簡単に教えてもらえますでしょうか。
最初はコントから入ったんですよ。卒業してすぐ、19の時にNSC(吉本総合芸能学院)に入学したんです。同じ川高の同級生に誘われたのがきっかけでした。本当は教員になりたかったんですが、若いうちに色々な経験をしておきたいと常々思っていまして。ほとんどノリですね。
親にはずいぶん反対されました。自費で大学を卒業することが条件だったので、奨学金を借りて夜間の大学に通いました。
■NSCではどんなご苦労がありましたか?
親との約束で大学には行ってましたけど、ヘンに保険をかけたくないのでお笑い一本で集中してやろうと思ってた矢先、1ヶ月で相方に「別れよう」って言われました。「本当に組みたい奴ができた」って。恋愛と同じですね(笑)
そいつに誘われてお笑いの道に入ったのに、これからどうすんねん!って大慌てですよ。一瞬辞めようかと思いましたが、そこで辞めるのって悔しいじゃないですか。今は知りませんが当時NSCは前払い制で授業料は最初に一括で納めてますので、生徒が辞めようが何しようが吉本は痛くも痒くもないんですね。
■そういった話はテレビなどでもよく聞きますね。卒業して舞台に出るようになっても、ギャラだけでは食べていけなくて、若手の芸人さんは下積み時代にとても苦労されているとか。
本当に全然食えないですよ。新喜劇に入る直前ぐらいのギャラですが、これがひと舞台500円、隔週ですから月に1000円ですよ。それが1割引かれて手取り900円。振り込まれてもキャッシュカードで下ろすこともできない(笑)
当時は北新地のナイトクラブでアルバイトをしてました。企業の社長さんがホステスと同伴で来るようなお店です。そこで盛り上げ役としてシャンパンを一気飲みしたりしてたんです。飲みすぎて吐くと食道が切れるんですよね。文字通り血を吐きながらでした。
コントの方はコンビを転々としながら4年ぐらい続けるんですが、本当に鳴かず飛ばずで。このまま続けるか足を洗って普通に就職するか、かなり悩みましたね。
■そこから吉本新喜劇に入ることになるんですね。どういう心境の変化があったのでしょうか。
本当に直感だけです。テレビで新喜劇を見ていて「これなら俺も売れるんじゃないか」とピンときましてね。いきなりNGKまで直談判に行きました。
何を思ったか、無名の人間がずかずか乗り込んでいってね、当然すぐに1Fのロビーで止められました。そら完全に不審者ですよね。こっちも簡単に引き下がるわけにいかないんで、事情を説明して「新喜劇に入りたいから、事務所に通して上の方と直接話をさせてくれ」って言いました。警備員さん3人ぐらいに取り囲まれて「どうしても行きたい」「絶対ダメ」で押し問答になりまして。
最終的には「これでは埒があかん」と、むこうが半分折れてくれました。
「新喜劇に入りたいという奴が来ていくら説得しても帰らないんですが」と、社員さんに話を通して貰えたんですね。
そこで「仕方ないから直接電話をさせろ」という話になって、ようやく新喜劇の担当の方の電話番号をゲット。
喜びいさんですぐに電話をかけると、「空気を読みなさい。キミ、そんなんじゃ売れへんで」と言われてムチャクチャ怒られました(笑)
■えーっと、当時吉本興業の所属だったのは間違いないわけですよね。 いわゆる一般的な企業だと人事担当がいて、部署を移動したい時にはそれなりに話を通すルートみたいなものが確立されてることが多いと思うのですが。
吉本の芸人とはいっても、形としては完全に個人事業主ですからね。社員ではないので社会保険もないですし、確定申告も自分で税務署に行ってやります。そのあたり吉本はうまいというか。たしかにふつうの会社だと連絡先を知らないなんてありえないですよね(笑)
ともかく、その担当の方に言われたのは「今度、うちで公開オーディションをやるからそれに出ろ。受かったら話を聞いてやる」ということでした。それまで新喜劇のオーディションは非公開で細々やってたんですけど、その時ちょうど「金の卵オーディション」と銘打って、4次審査まである大々的な公開オーディションをやることが決まっていたんですね。審査の様子はテレビでも放映されて、当時はかなり話題になりました。