「広い東京に、ただふたり」やったから



−同級生同士で結婚するのはある程度少ないし、
 その上、両方が社長というのは少ないけど、
 もっと少ないのは社長同士が離婚せずにやってこれたっていうこと。
 こんなカップルは、ものすごく少ない確率なんですって。
 40年間仲良くやってこれた秘訣って何なんでしょうか?


高山:仲良くするために工夫したってことは何もないんやけど・・・。
惠子:喧嘩する時は、すごいよ、私。
高山:かあちゃん、頭に血のぼったら、口、めちゃめちゃ悪いねん。
   わし、子供の頃に苦労してるから本当は辛抱強いんです。
   ただ、若い頃は我が強くてぶつかってたけど、一緒にいるうちに一心同体みたいになっていくわけ。

惠子:その頃言っててんけど、「広い東京に、ただふたり」って。
    全然知らんところに二人きりやったから・・・。。
高山:本当にナチュラルに生きてきました。
    結婚した頃の二人の気持ちと、今と何が変わったかな〜と思います。
    仕事も社会的に成功したかも知れんけど、金持ちになろうとか、社長になろうというのも最初からないし。
    
高山:小さい時に漫画描いて、漫画家になりたいとか思ってきたし、芸術家になりたいなとか。
   それでロックバンドをやったりとか、そういうのと、コンピュータの世界に入って自己実現したのと基本は一緒やね。
   子供の頃から自己表現したいというのがものすごく強かったんです。


 
45歳の頃、モルディブ・ダイビングサファリでバラクーダと
−高山さんの場合、10年先をイメージしてこんな風になりたい、と思って来られたようですが。

高山:レールに乗っかって生きて来た人は、何も考えへんのんやろうけど、
    私の場合は全く前に道がないんです。
    ぺんぺん草の生えてるところを歩くんやから、ひたすら何をやるべきか、
    どう生きるか、考えますよね。
    バンドも10年でモノならなかったという一種の挫折があるやないですか。
    失敗した10年があるなら、次の10年は絶対成功させようと、
    それをじっくり考えたと言う事です。

高山:周りの人は、バンドマンのときも貧しくて苦労したやろうというけど、
    何の苦労もしてなかったよな〜、楽しかったよな。
惠子:楽しかった!!!

高山:そうや、趣味をとにかく合わせてきたんですよ。
    私がテニスやるといえば、女房も一緒にテニスをやるし、
    かあちゃんがダイビングをやりたいといったら私もダイビングをやったし。
 
 
つらかったのは惠子さんが歩けなくなった時期

高山:つらかったのは、かあちゃんの股関節が悪くなって歩くのも困難な時期があったのです。
    女房は元々先天性股関節脱臼なんだけれど、それでも一緒にテニスも山歩きもやれてたのです。
    それが5年前くらいに、股関節が本当に悪くなったのです。
    
惠子:社長を引き受けて1年くらいした頃にすごく悪くなったんです。
   痛くて歩かれへんようになって、杖ついて歩いてました。
    朝起きて、お風呂に入ったら楽になるんやけど、
    そのお風呂にも行かれへんようになってね、
    ベッドの横に杖を置いて、ようようお風呂に入って、
    温めたら何とか歩けるという状態でした。

    
惠子:手術せなあかんと覚悟を決めて行った大きな病院で
    ひどい目にあってね。
    人間扱いしてくれへんと思ったんです。

   こんな先生に命を預けられへんと二人で落ち込みました。
    それで他の病院を探し始めたのです。

惠子:ネットで偶然、「深圧マッサージで筋肉が柔らかくなり、痛み
    が減る」という先生を見つけました。

   今は、先生のお陰で歩けるようになりました。

高山:運が良かったんです。

今住んでおられるマンションはメゾネットタイプ。
寝室のある2階には階段で上がるのですが、それも大丈夫だそうです。




 高山さんがバンドを始めたころに作った二人の「鬼ごっこの歌」です 


鬼ごっこするもの この指とまれと

子ども達が仲良しになっていくように

いつの間にか あなたと僕は

とても仲良しになっていました

それから二人の小さな物語が始まったのです

つぼみはやがて花を咲かせて

二人の仕草も 恋人らしくて

4つの季節が めくりめくって

時は姿を変えて行ったけど

いつでもあなたは僕の思い出の中に居ました
その目を閉じれば 昨日が見えるでしょう

その目を開ければ 明日が見えるでしょう

昨日から明日へと続く道を

手を取り二人は歩いています

明日も二人の小さな物語を どこまでも いつまでも 

 
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