校地移転(昭和43年3月〜55年3月)











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1965年当時の川高

昭和39年(1964年)、東海道新幹線が開通しました。
田んぼの広がるのどかな宮原町が、日本を代表する「新大阪」という都会に変貌し、「東淀川高校」も変化していきます。
昭和351月から始まった「新大阪駅周辺土地区画整理事業」ですが、379月に、東淀川高校校地一部移転の当初計画が発表されました。
PTAからの要望や更なる検討がなされ、41年5月に現在の形態が決定されました。




左図は昭和34年換地前の校地・校舎の配置図です。

広いグランドが手前にありました。

昭和43年3月から移転工事が始まりました。

45年2月に2号館の西半分が完成し、北側のグランド共に、45年度より新校地と新校舎での授業が始まりました。

工事はその後も続き、昭和55年に3号館が完成し、体育館が新しくなって、ほぼ現在の校舎配置となりました。

その間、仮設校舎での授業の次期もあり、大変だったと思います。


また、伊丹空港で航空記増加域に指定され、46年12月には窓の防音サッシへの取替えが、48年12月には全館冷房も完了しました。
                    
換地前と換地後の図面を
重ねてみました。
比率が違うかもしれませんので
正確ではないのですが、
おおよその変換が分かっていただけると
思います。

                




右図は換地後の昭和47年の校地・校舎の配置図です。
正門の位置も変わったので、校地移転前に卒業された同窓生には、学校の印象がずいぶん違うと思います。
現在
2003年11月10日撮影