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学校が池になる・メタンガスがボコボコ



内山       宮原へ移ってからの校舎の建設について。

校長       初めこゝへ来た時、えらい場所だ、これが学校になるのか、と思ったね。
土地が低いから、雨の度に学校が池になる。(笑)
府庁に、土地を敷地に入れて欲しい、とだいぶ頼んだが、だめだった。
第一期工事の時、下を一尺程あげた。そしたら、地鎮祭の時、府庁の人にみつかって、約四十分程、説教された。(笑)
あの校舎も、府の最初の計画では、鉄筋三階建て二棟、体育館、講堂と建設するのだったが、府の財政の都合で、木造が一棟混じった。
あとは全部鉄筋になったのは幸でした。
開校当時一番心配したのは、放っておけば、二年ほど仮校舎暮らしをせねばならぬかもしれぬことでした。
仮住居を園芸高校に移せば教室の余裕があるから、二年でも、三年でもおいてくれるだろうと、聞かされて閉口しました。
三十年の八月に、合計十八回程、府庁へ通ったのです。(笑)
最期に、では八教室だけ木造で建てる、木造がいやならあと一年我慢しろ、といわれたが、一年我慢して必ず鉄筋が建つなら、とも考えたが、見通しがなかったので、木造で我慢をした。


勝山       さよう、難儀したのは、第一工事の前でした。父兄も一緒に、暑い盛りに、何回も府庁へ通ったものでしたね。



第一期工事 木造半分 (30年12月から31年4月)

校長       移転後そこを生徒が地ならししたりして・・・・・・

中村       埋めたのは良いけれど、よく蠅が来ましたね。

門田       猫の死体・下駄・ザルのこわれたのとか、とにかく、ごみがいろいろありました。

校長       地価があがってきて、予算では買収出来なくなったので、ゴミを土の代わりに埋めたりしたんだね。

内山       その頃、何かカンの腐ったものを拾いにくる人がいましたね。




第二期工事本館半分(31年7月から32年4月)

校長       当事者の苦心にもかゝわらず赤字になった。それを補うために、募金をしましたな。第一回は二百万円で、小学校からも募ったとか。第二回目は四百二十万円余だったかな・・・・・・。

勝山       そうそう、メタンガスが出てね(笑)水が溜まると、ポコポコいうて(笑)

広瀬       ビーカーを持って取りにいったり・・・・・・。(笑)

勝山     五年前の東淀川駅前道路は今のパチンコ屋が市場で、風呂屋の辺に一軒と、二つぐらいしか店はなかった。その他は、古い農家が二・三軒あっただけだ。全く田んぼの中の道路の様でした。

(ホーそうですか、発展したんですね、という声が起こる。)



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